Written by Yui Takagi
千葉を代表する、マジックのめっちゃ強いプレイヤーといえば、キミは誰を思い浮かべるだろう?
まず筆頭に挙げるとすれば、やっぱり殿堂プレイヤー、泣く子も黙る 「三原槙仁(みはらまきひと)」 がすぐに思いつくだろう。
そして、先日開催されたグランプリ京都で久々に出没した 「三田村 和弥(みたむら かずや)」 も、全盛期はとてもとても強かった。
それに、グランプリを2度制したホワイトマスター 「菅谷裕信(すがや ひろのぶ)」 も堅実な強さを持っている。
ところで、20世紀からマジックに触れている古豪のみなさんは "有田" という枕詞がつけば、誰もが「有田 ”4-Times PT Top8” 隆一(ありた りゅういち)」 を思い浮かべるだろう。「デュエリストジャパン」に幾度もその名前が掲載された千葉Mt;g界の巨匠である。
しかし、どのスポーツでも、世代交代の時がやってくる。
それは千葉マジックシーンも例外ではない。
今回、私はキミたちに新世代の "有田" を知ってもらいたい。
有田 賢人
戦績:
ワールド・マジック・カップ13東京予選ベスト8(スタンダード:345名)
ワールド・マジック・カップ14東京予選ベスト4(スタンダード:387名)
ワールド・マジック・カップ15東京予選ベスト4(モダン:353名)
皆さんもご存じだろうが、今年苦節4年にして念願の日本代表入りを決めた男だ。
特記すべきは、ワールド・マジック・カップ予選で4年連続ベスト8進出。
毎回300人を超えるツワモノを掻き分け、安定した結果を残すのは並大抵のことではない。
「プレミアイベントに出るようになってわずか4年、なぜ彼はこんなに勝てるのか?」
その秘密を探るべく彼に直接取材を申し込んだところ、快く引き受けてくれた。
今回はインタビューを快く引き受けてくださり、本当にありがとうございます。
まずはさっそくでありますが、日本代表を決めたワールド・マジック・カップ大阪予選で「白単人間デッキ」を駆ることを決めるまでの過程について教えていただけますか?
今回WMCQに出るにあたって、候補デッキは3つありました。
「バント人間カンパニー」、「スゥルタイコントロール」、「赤白人間」です。
その中で「赤白人間」は、トップメタの「バントカンパニー」に後手だと不利で、可能であれば「バントカンパニー」に有利のつく「人間バント」か「スゥルタイコントロール」を使いたかったという思いが強かったです。
しかし、「人間バント」や「スゥルタイコントロール」は練習量を十分に確保できなかった自分ではWMCQに自信を持って持ち込むことが出来ないと感じました。
そのため、最終的に使い慣れてるアグロデッキの「赤白人間」にすることにしました。
白系の人間デッキには3種類あり、「白単人間」、「赤白人間(《鋭い突端/Needle Spires(ZEN)》メイン型)」、「赤白人間(鋭い突端サイド型)」です。
その中で、「スゥルタイコントロール」がある程度流行ってきており《衰滅/Languish(ORI)》に弱いことを考慮して、鋭い突端はメインかサイドには入れた方がいいという結論に至りました。
メイン型とサイド型のどちらも試しましたが、鋭い突端があると白単の最大の強みである、1-1-1の動き(1ターン目に1マナクリーチャー1体、2ターン目に1マナクリーチャー2体)がタップインの関係で阻害されるパターンがあり、それをメインの形にするのはあまり良くないという考えで、鋭い突端サイド型にしようと固まりました。
実際本戦でも、タップインのストレスなく1-1-1の動きができ、速やかにイージーウィンする試合が多数あり、この判断はよかったと思います。
WMCQのような1日で長丁場を戦い、かつ優勝しか意味のない大会では、相当自信がない限り、疲れにくくイージーウィンのあるデッキが適してると思います。
デッキの調整のことですが、普段どのようにやっているのですか?
僕は4年半前にマジックを始めた時から、津田沼でずっとプレイをしてきました。
大学を卒業し就職してから十分にマジックをする時間を確保できなくなりましたが、休みの日に津田沼の長谷川、一戸、飯島、古谷といったメンツや、チバホビのハギさんと調整をしています。
また、最近はMOも導入して仕事のある日はMOでプレイしています。
使うデッキを選択する際に気にしていること、心がけていることはありますか?
自分の使うデッキの決め方って色々あるんですが、大きく分けると「ビルダータイプ」と「チューナータイプ」に分けられると思うんです。
僕はどちらかといえば、「デッキビルダータイプ」ではなく「チューナータイプ」なので、メタゲームに合った新しいアーキタイプを生み出すというよりは、既存のトップメタデッキをチューンアップしていくという手段を取っています。
そのために、まずある程度の強さが保障されているトップメタのデッキをアグロやコンボ問わず選択していきます。
そこから、そのデッキに不利のつくアーキタイプをメタり、そしてミラーに強い形にすることを心がけています。
最終的にコントロールやミッドレンジ、アグロで複数のデッキで迷ったときは自分のプレイスタイルに合ったアグロやコンボを選択しています。全てのアーキタイプを使いこなせるに越した事はありませんが、最終的には長丁場でも自分がミス少なく使用できるデッキをオススメします。
4年連続の決勝トーナメント進出で、日本代表になりたい気持ちは非常に強かったと思いますが、決勝戦直前、そして1本目をとられた時の心境はどうでしたか?
心理的には意外と落ち着いていたと思います。
準々決勝で市川ユウキさん、準決勝で田中さんを破っての決勝進出でしたが、どちらも3本目までもつれるギリギリの試合だったのですが、それを勝てて決勝まで来た、これは勝つしかないという思いがありました。
さらにその日は、350人前後の大会で初戦がナチュラルbye、何か違うなという感じでした。笑
1本目落とした時3没がよぎりましたが、決勝トーナメントはすべてそこまで1本目を落としていたので、ここから勝てる!という風に切り替えましたね。
大一番を迎えるにあたってメンタル的を落ち着かせるためにやってることや、ゲン担ぎなどは、ありましたら教えてください
ゲン担ぎは、その時によって違いますが、勝ってる時は同じシャッフルの仕方をよくします。
WMCQの時は、1本目終わったらマスクを外すというゲン担ぎをしてました。笑
話は変わりますが、MTGを始めたのはどのエキスパンションからですか?
また、MTGを始めたきっかけ、プレミアイベントに出るようになったきっかけがあれば教えてください。
僕はちょうど5年ほど前の、イニストラードが出た時に始めました。
大学の友人と、何かカードゲームやりたいねという話になり、お互い昔少しだけ触った事のあるMTGをやってみようかという話になったのが始まりで、初めはイニストラードのBOXを割り勘で買ってお互い使う色を分けてデッキを作ってました。
そこからフライデーに出てみたい!ってなって、イニストラードのカードしか入ってない赤青カウンターバーンみたいなデッキを津田沼のホビーステーションに持ち込んで、当時隆盛していた太陽拳や赤緑ケッシグ、青黒感染にフルボッコにされたのを覚えてます。笑
千葉ホビの萩原さんや、今の津田沼の仲間(以下、津田沼勢)とはその頃からの知り合いで、そこでのコミュニティの存在は自分の中で今でもかなり大きいです。
プレミアイベントに出始めたのは、もっと高レベルの大会に出たいという思いからでしたが、ここまで日本各地を行き来して大会に出るようになったきっかけはやはり、2012年6月開催のグランプリ横浜でした。
モダンフォーマットが制定されて国内での初めてのモダンのグランプリで、津田沼勢みんなで出てみよう!ってなったのですが、そこであと1勝すればトップ8というところでフィーチャーされ、負けてしまったんです。
そのとき、プロツアーに出てみたい、もっと強くなりたいって思いが一気に強くなりました。
現在目標にしている、尊敬している有名プレイヤーなどはいらっしゃいますか?
その人の見習いため部分があればご教授いただければ幸いです
僕の尊敬するプレイヤーは、身近だと昔から千葉ホビの萩原さんです。
まだPTQ制度だった頃から、一緒に遠征に行ってその時に色々デッキの回し方やコンバットの良し悪しを教えてくれました。
最近では、どちらかと言うと僕の中では好敵手というイメージになってきてますが、トーナメントでのマジックを僕に初めに教えてくれたのは萩原さんです。
プロプレイヤーは、誰というよりは全員尊敬してますし目標です。
プロプレイヤーの1番凄いところは、ミスが圧倒的に少ないというところ。
最後に、日本代表として11月の世界選手権に挑むことになりますが
想いや意気込みを教えてください。
4年越しで、夢にまで見たWMCへの出場なので目標は優勝です。
役割としては、どのアーキタイプでも回せる潤滑油のような存在になれればと思っていて、今は様々なデッキを回して練習しています。
やりたい事ではないかもしれませんが、世界の強豪プレイヤーと戦う貴重な機会ですので、精一杯楽しみたいと思います。
まだ高校生だったときに福島から東京に出て研鑽を積んだ男。
通称「豚小屋」というトーナメント会場の別室で研鑽を積んだ男。
電脳世界で研鑽を積んだ男。
世界という空に飛び立つため、その誰もが須らく、その影で地道な助走を続けてきた。
有田賢人。
彼にポテンシャルは十二分にあった。
羽ばたきたいと願い続け、何度も手を広げ続けた。
そのたびに何度も撃ち落とされ叩きつけられ打ちのめされた。
それでもやめなかった。信じ続けた。手を広げ続けた。4年かかった。
そして機は熟した。
さあ待ち焦がれたその場所で、思う存分輝け!
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